光と闇と
序章
ライラの腕は酷く痛々しかった。
右の、殆ど肩の部分から肘の先端まで牙で裂かれた傷。そこに更にたいまつを押し付けたかのようにむき出しの赤い肉は所々黒く焦げ、そこからとめどなく嫌な臭いの膿が出ている。
真っ赤な頬でうなされているライラの額の手巾に、イルヴェスは手を伸ばした。
その手巾は、今しがたライラの額に乗せたばかりだった。神殿の護り、水の民の『柱』の護りを秘めた水で絞ったその手巾は、しかし、もう温くなっている。
「妹を、助けて下さい。イルヴェス様」
泣きそうな顔で、ユークは頭を深く下げた。
「お願いです、兄者様」
震える声で、シヴァが言う。
「何日……ですか?」
重い口を、ようやくイルヴェス・シェア・ドラルージェは開いた。
竜族の王の子であり、最高司祭の位にある彼には確かに癒しの力が神の祝福として与えられていたけれども。
だけれども。
「二日に……なります。昨日の朝まではただの傷で膿もなかったのです。熱も……だから明日、兄者様の休日に此方に連れてこようと」
シヴァの目が泳ぐ。
豪奢な寝台に寝かせられている可愛い従妹。
もっと早く、連れてこればよかったのだ。
どんなに最高司祭の仕事が多忙を極めようが命一つに比ぶれば。
「この傷は、何です?」
イルヴェスは問いながら手巾を取り上げ、水晶をくりぬいた盥の水に浸し、絞ってからライラの汗を拭いた。ライラの濃紺の巻き毛が、その額に張り付いている。
「魔物です」
答えて、ユークは唇を噛んだ。
自分達の失態。シヴァと二人しての完璧な油断。全て斬りきったと思ったのに逃した一匹がライラに踊りかかった。腕に噛み付き……。
「血を、浴びましたね?」
問いながら、イルヴェスは再び手巾を絞る。
こくん、と、シヴァとユークは頷いた。
あの時───糸で、ライラは魔物を切り裂いたのだ。それが彼女の武器。
噛み付かれた腕の傷には唾液が入り込んだであろう。千々に切り裂かれた魔物は肉片と化し、赤い雨のようにその血をライラに浴びせかけた。
「まずいですね……」
話を聞いて、イルヴェスは眉をひそめた。
この熱が、傷の為ではなく毒のためならば?
極稀にある事。
血や唾液に毒持つ魔物。
二日。
傷を癒しても、解毒を行っても、中の組織が既に死んでいるかもしれない。
───そうならば、私では無理だ───
もしイルヴェスの勘が当たっていたならば、ライラは不具になる。
しかし、どうしてそんな事が言えようか? 弟に、従弟に。
彼らはこの少女を溺愛しているのに。
そしてイルヴェスにとっても大事な大事なライラが、そんな事になってしまうのを容認できるか?
否、だ。
助けねばならない。
不具になどさせてはならない。
傷一つ残してはならない。
それならば、とるべき道はたった一つしかない。
力がない事が口惜しかった。
本当なら、まだ、早すぎる。『彼女』を呼ぶには早すぎる。
それでも他に道はないのだ
「貴方達……」
低い声で、イルヴェスは言った。凍りつくような声だった。
「秘密は、守れますか?」
誰が否と言えるであろう?
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